まずはシドニー バスの旅2

いらっしゃいませ~~^^
例によってお茶はご自身でいれてくださいね~

前回はおもしろくもないツアーコースの紹介で終わってしまいました。
では今回はと言うと・・・。これまた書いていくには、チト頭の痛い問題が
ありまして、あまりおもしろいとはいいがたいのです。

まずこの写真をご覧ください。

この階段状の部分がMrs Macquarie(ミセス マクアリー)の椅子と呼ばれているものです。
Wikipediaによりますと、第五代総監(Governor)のLachlan Macquarie(ラクラン マクアリー)
少将の妻Elizabeth(エリザベス)のために1810年ころ夫のラクランが囚人に手彫りで作らせたとあります。(夫人32歳のころ)

私のつたない知識では、この地は当初囚人の流刑地であったと思いますので(実際一般人より囚人の方が多かったという記録もあります)
先ほどのGovernorも今風に州知事と訳さずに”総監”としました。
前回紹介しました地図を見ていただくとわかりますが、彼女の椅子はシドニー湾の内側ではなく外に向いて作られています、せめてこの岬の先端であればまだありませんがオペラハウスの方も見られてシドニー湾を大パノラマで一望できたはずなのに、なぜ外に向かって座ったのでしょうか。
ガイド本の中には、「彼女はこの湾の絶景を楽しんだ」と書いてあるものもありますが、絶景を楽しむのならこの場所に座らないと思います。

チョットこの椅子のいわれから離れて上の写真をもう一度見ていただきたいのですが、椅子の上に大きな背もたれのような岩に文字が彫ってあるのがわかります。正直いって私の語学力では完全には訳せません。

ザックリと訳しますと「(イギリス)政府の領地の内側を一周する、ミセスマクアリーの道と呼ばれたと記録されている」。これは椅子のいわれでは無く領地の中の道の説明です。???なぜ道???

細かいことが気になるたちですので、英文のWikipediaを読んでみると、「夫のラクラン少将が1810年から1821年まで総督を務めた。
その間夫人は岩に座り港に入ってくる本国からの船を見たり港の景色を楽しんだ」とあります。

この道は1813年から1818年の間に作られ、もとの総督邸から夫人のポイントまで続いていたそうです。
さらにこの道は夫人の利便のために総督が作らせそして名付けたようです。

石碑の文面によれば完成は1816年6月13日となっておりその距離はおよそ5.3Kmだそうです。
なぜ彼女はわざわざ道まで作らせ足繁くここまで通ったのか、往復10Km以上あるのですよ・・・
もちろんテクテク歩いたわけではないのでしょうが、少なくても港の景色をのんびり楽しむだけではなかったと思います。
やむにやまれぬ訳があったのだと思います。

その訳とは彼女の椅子の向きにあると思います。湾の外を向いて座る意味、それは生まれ育ったイギリスからやって来る船やなつかしいその地へ向かう船を見ていたものだと思います。そう、彼女は重度のホームシック
になっていたようです。愛する夫は彼女のために岩をベンチの形に彫らせ、そこまでの道までも作ったのでした。

地球の裏側ともいえる辺境な流刑地でなにもなく一般人より囚人の方が多い環境になじむことなどできなかったのだと思います。(じつはこの道が出来るころには市場や銀行などが出来始め都市計画が進められていたそうですが)

そんな夫人を思いやりベンチを作り道まで作った総督(ラクラン少将)の胸の内も察してあげてもいいのではないでしょうか。
そんな彼女も1821年夫の離任にともない愛する祖国に帰り14年後57歳で亡くなりました。

それを知ってか知らずか大勢の観光客がやってきます、それは椅子からほんの少し歩いて岬の先端まで行くと、かの有名なオペラハウスとハーバーブリッジが同時に見られる絶景ポイントがあるからです。
カメラのフレームにこの二大名所を一度におさめることのできるポイントなんです。(すごい)
さらにパノラマで撮影すればシドニーの高層ビル群やシドニータワーも同時におさめることが出来ると日本へ帰ってから気づき残念無念と臍を噛む思いをしました。(ちくしょ~~~)
でありますからその絶景な写真はありません。悪しからず 
T_T; <m(__)m>


でもそんな写真があったような気がしてよ~く探してみましたら、なんと出てきました。それがこちら


思い出してよかったです。

何枚かありましたのでつないでパノラマにしてみました


残念ですがシドニータワーは入っておりませんが十分に絶景と言えるような画像です。

最後にちょっと感想を述べさせていただきますと、すごく騒がしく感じました、それはなぜかわたしも含め東洋系の人が多く中国からの観光客がそのうちの8割ぐらいを占め、また彼らは大きな声でお話されますのと他国の人が見るとまるで喧嘩をしているようにもみえます。

以前上海に行ったときに通訳さんが彼らは普通に話していても喧嘩腰で話しているように見えるけど、そうではないから怖がらないようにって注意されたことを思い出しました。

それを知らない人はうるさくて危険だと勘違いされるかもしれません。
ご心配なく彼らもこの絶景を心から楽しんでいるのですから。

ワ~~またしょうもないこと長々と書いてしまいました。飽き飽きしている顔が目に浮かびます。
写真もなく文字ばっかり・・・・

叱られる前にさっさと閉じようと思います。
例によって次回予告です、次回はエ~~~と考えてなかった<m(__)m>

残りの下車観光三か所をまとめてやっつけてしまおうと思います、(無理かな)
では予告 正直言って何もないところだった(仮)で書いていこうと思います。

ではでは お楽しみに~    See you !!・・・・

                          

peke-kael:
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