古事記 上巻(2)神世七代
(2) 神世七代
さて 神様五人衆が終わって、次なる神様七人衆に取り掛かるわけですが、七人衆と言っても、二人と五組で人数とすれば十二人となることで、正確には神世七代と言います。つまり神様七世代にわたる記録です。
最初に登場するお二人は独神ですが、その後登場する神様は男神と女神のペアで登場されます。ですから最初の二人は一人で一代ですが、後の神様は二人で一代となります。
前置きが長くなりましたので早速始めていきましょう。
神様五人衆の後、最初に現れた神様は
国之常立神(クニノトコタチノカミ)で前述の天之常立神の地上版と言える神様です。
次に現れたのは豊雲野神(トヨクモノカミ)で豊な野、空に雲という、雲を神格化した神様です。
ここまでの神様が独神でこの後ペアになっていきます。
この五組目の神様ペアがみなさんもよくご存知の神様ですのでお楽しみにしてください。
なお 左側の神様が男神 右側の神様が女神です
宇比地邇神(ウヒジニノカミ) 須比智邇神(スヒジニノカミ)
角杙神(ツノグイノカミ) 活杙神(イクグイノカミ)
意富斗能地神(オオトノヂノカミ) 大斗乃弁神(オオトノベノカミ)
淤母陀琉神(オモダルノカミ) 阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)
伊邪那岐神(イザナギノカミ) 伊邪那美神(イザナミノカミ)
これらの二人と五組の神様たちをまとめて神世七代(かみよななよ)といいます。
このペアの神様は 伊邪那岐神 伊邪那美神の二人をのぞいて兄妹です
厳密にいえばこの二人も兄妹ですが後に夫婦となるため、単に男女の神と
いうこともあります。
この神世七代の神様たちも最後の二人をのぞき、この後1ミリもでてきません。
ではなぜ今後出番のない神様たちを「造化三神」とか「別天津神」とか「神世七代」とか特別な扱いをするのかと言うと、神様たちの役割を書いて時間軸の中で進化してきた過程をあらわしているのです。
順に説明しますと、宇比地邇神の宇比地とは初(ウイ)泥(ジ)で最初の泥や土をあらわし妹の須比智邇神の須比智は砂と泥をあらわし最初の大地を表しています。
つぎに角杙神と活杙神は杙は”芽ぐむ”をあらわし角(つの)のように芽が出る様子で活ぐむは生育する様子をあらわし生物が発生して育つ様子をあらわしております。
つぎに 意富斗能地神と大斗乃弁神は大地が完全に固まり出来上がったことをあらわす意味ですが意富斗能地神の地は男をあらわし大斗乃弁神の弁は女をあらわしさらに斗は性器をあらわしていると言われております。
別の書では斗は戸に通じ地は父親で戸口(門)にいる偉大な父親と女と説明していて集落の防壁の守護神であるとされていますが、ここでは前の意味の大地が出来繁殖が始まったと考えます。
つぎに淤母陀琉神と阿夜訶志古泥神のおもだるは「完成した」と言う意味で妹の「かしこ」は「畏し」に通じ体が完成して知恵がついたという意味です。
また性器崇拝の観点で男女の性器の霊能に対する恐懼(きょうく※5)を表すとも言われております。
ここでひと息ついて神世七代の神様を、おさらいしますと。
国之常立神➡国土の根源をあらわし
豊雲野神➡地面と空をあらわし
宇比地邇神と須比智邇神➡大地が出来始め
角杙神と活杙神➡大地に芽吹き育つことをあらわし
意富斗能地神と大斗乃弁神➡大地が完全に出来上がり、生殖による繁栄
淤母陀琉神と阿夜訶志古泥神➡体が完成して知恵がついたことを表しています
そして皆さんもよくご存知の伊邪那岐神・ 伊邪那美神へとつながるのですが、このイザナギ・イザナミの名前の意味について書いてあるのは少なく、多くの説明本では、いきなり伊邪那岐神・伊邪那美神の神話から始まっているものがみられます。ですからチョットダケ書かせていただきますと。
大地が出来始め植物が芽吹き生物が繁殖し神(人間)の体が完成し知識知恵が整いそして神(人間)として完全に出来上がったあと、イザナギイザナミという男と女が誘う(いざなう)ことにより夫婦となり子孫を繁栄させていくという壮大なストーリーで、名前の意味は「誘いあう」ということを表しているのだと思います。
ですから前の四組が兄妹なのに対しこの二人も兄妹としてしまうと、のちに夫婦になるため話がややこしくなってしまいますので、男神女神としたほうが丸く収まるのだと思います。
フ~~長い実に長い説明です。がまんして読んでくださった方に感謝いたします。なぜこんなに手間をかけたかというと、先にも書きましたが古事記の始まりがいきなりイザナギ・イザナミから始まっているものが多く、昔の人が古事記という歴史書を造らなければならないと思った根本のポンポコポンが若干ではありますがそぎ落とされていると思い、敢えて時間を割いて書くことにしました。
この長い説明で随分と進んだとお思いでしょうが、さにあらずここまでで上巻の序文のあと本文の8行を説明したにすぎません。
このままのペースでいきますと、この本は広辞苑並みの分厚さになりますのでこのあとは急ぎ足で飛ばしていきたいと思います。