古事記の全体像
まずザックリと全体像をお話しますと、古事記は序文をふくめて4部構成になっています。
なお原本は現存せず写本のみが残っています。
その写本のひとつが伊勢本系統で1371年から1372年にかけて愛知県名古屋市にある真福寺の僧侶・賢瑜(けんゆ)が写したとされるもので3巻揃っているものとしては日本最古のものです。
そのほかの系統として卜部本系統があります。
余談ですがわたしの生まれ故郷の名古屋市では前述の真福寺宝生院とは言わないで大須観音と呼ばれ親しまれています。おそらく古事記として写真で出てくるもののほとんどがこれだと思います。
現存している最古の写本です
さて全体像に話を戻しますと①序文②上巻③中巻④下巻で、それぞれ
- 序文(じょぶん)
いつ、だれがこれをどのような理由で書かせようとしたのか。
だれがどのような手段で書いたのか。
いつ、だれに献上したのか。
書くにあたりどんなことに留意して、どのように書いたか。
全体がどのような構成になっているのか。が書いてあります。 - 上巻(かみつまき)
ここからやたら漢字が多くなりますご容赦ねがいます^^;
天地開闢(てんちかいびゃく)から日子波限建鵜草葺不合命(名前です^^;)「ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト」と読み、通称は「ウガヤフキアエズノミコト」と言います)つまり神代の昔の神話です。 - 中巻(なかつまき)
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)初代神武天皇から品陀和気命(ハンダワケノミコト)15代応神天皇までのエピソード。 - 下巻(しもつまき)
大雀命(オホサザキノミコト)16代仁徳天皇から豊御食炊屋比売命(トヨミケカシキヤヒメノミコト)33代推古天皇までのエピソード。
ここで少しお断りしなければなりません。
便宜上1〜4の項目に分けていていかにも古事記が4巻あるように説明していますが、実際には1の序文と2の上巻は1冊で古事記は全部で3冊のものですので誤解のなきようお願いいたします。
ではなぜわざわざ分けたのかと言いますと、序文が突っ込みどころ満載で偽書の疑いがあると言われているためです。
また序文だけではなく古事記の原本が今に至るまで発見されていないため古事記そのものが擬物であると言う意見まであります。
ですから「信じるか信じないかはあなた次第です」と言わざるを得ないことをご承知おきください。
ザックリこんな感じで書かれています。読んでいて面白いのは断然上巻です、何といっても子供の頃に聴いたり読んだりした神話があちこちに出て来ますし、神様同士が勝負したりやたら人間臭くなんとなく身近に感じられます。
この次に、古事記がなぜ日本最古の歴史書と言われているのか考えてみたいと思います。