天津神の中で偉いのは誰
まず先に言葉の解説をします。
布斗麻邇(ふとまに)原文のこれは漢字には意味がなく音に当てはめたものです。
現代では太占と書き(読みは同じ)牡鹿の肩甲骨を上溝桜の樹皮を炭火にしたもので焼き骨の表面の割れ目の模様によって占う。亀の甲羅を使う亀卜(きぼく)に対し鹿の骨を使うため鹿卜(ろぼく)と呼ばれることもあります。
ここでわたしが気になったことが二つあります、ひとつは詔(しょう)という字が使われています、これは「みことのり」で本来、天子の命令にのみ使われる言葉ですので大勢いる天津神の中で一番偉い神様が誰なのかが気になります。
ただこの場合上から下(伊邪那岐命と伊邪那美命)に告げたと考える方が合理的ですのでその上の神様とは誰なのかということになります。
単純に考えると一番先に現れた天御中主神さんですが、この神様は前にも書きましたが隠れたあとには一度もハッキリと特定できるかたちで登場しませんので、ここだけに出てくるのも不自然ですし、あれこれ世話を焼く役柄ではないと思いますので、おそらく高御産巣日神さんではないかと思います。ただこの神様も日常的なアドバイスをするタイプではなさそうですが・・・。
二つ目は伊邪那美命から声をかけたのがよくない、という点です。
ずっと後になりますが天照大御神(アマテラスオオミカミ)という神様が出てきます、この神様は日本神話の主神とされ女神とされています。
のちに高天原を統べる神様が女の神様なのに「女から声をかけたのがよくない」ってのがちょいと気になります。古事記は奈良時代に書かれておりますのですでに男社会であったのでしょうが、この古事記の最後に登場されるのが推古天皇でこの国始まって以来はじめての女性天皇なのが皮肉にも見えます。