神道と仏教

古事記の上巻の紹介の中にもありますが、神様がこれでもかと言うほど生まれたり現れたりします。
天御中主神から始まり造化三神・別天津神・神代七世ここまでで十七人の神様で、この後伊邪那岐神・伊邪那美神による神産みで四十一人、火之迦具土神の殺害によって現れた十六人。
これだけでも、え〜〜と17+41+16で74人の神様がズラズラと出てきました。

外国の一神教を引き合いに出すまでもなく多くの神様がいます。
なぜ古事記の冒頭にこれほどまで神様を登場させたのかまたはさせなければならなかったのか、とぼしい知識とさびついて回りが悪くなった脳みそを鞭打ちながら考えてみたいと思います。

そもそも古事記を編纂しなければならなかった理由、それと同時期に完成した日本書紀を編纂しながらもなお古事記を作った意味。
本編の方では日本書紀は外国向けで古事記は国内向けと定義しています。
さらに古事記の目的のひとつに日本の話し言葉や文化の保存という目に見えてこない大きな役目があるように思います。

単にウソやアヤマリが多く混じってしまった帝紀や本辞を正すだけが目的なら稗田阿礼に「よく調べて、まとめて書いてね」の方が早く手っ取り早かったと思います。
繰り返しになりますが、神代の時代までさかのぼって多くの神様を登場させ、出てきたはいいがそのあとまったく名前すら出てこない神様を事細かに書く必要があるのか疑問に思いよ~~く考えてみると。
そこには為政者の正当性を堅固でゆるぎないものにしなければならない宿命が見えてきました。
為政者の権威が確立し盤石であれば、たとえば「天皇陛下は偉い」の一言で片づけられるのかもしれませんが、まだその地位を奪われる可能性のあるあいだは、これこれこういう理由でこの家系のものが為政者としての地位を正当に世襲するということを証明しなければならなかったのです。

世界各地にもその地位を象徴するもの(レガリア)があるように日本にも三種の神器というものがあります、これを持つ者が正当な為政者である証だというものです。しかしそれを奪われたり無くしてしまえば他に正当性を証明するものがなければその地位だけでなく国や国民すべてを失うことになってしまいます。

それを防ぐためにも歴史的に正当な家系であることを証明し、さらにそれが特別なものであることを自分の臣下だけでなく広く国民すべて、さらには国外にも知らしめておかなければならなかったのです。

その特別であり正当な家系にさらに威厳・権威・不可侵性を加えるなら(下世話に言えば”箔をつける”)その家系を神の末裔にすることが一番手っ取り早いです。

おそらく日本人ほど多勢の神様と身近に接している民族はいないんじゃないかと思います。そんな日本人ですら神様ってなんだかよくわかっておりませんし、神様を怒らせたりないがしろにするとバチがあたると思って、神棚などに祭ってあまりウロウロされないようにしています。
俗にいう「仏ホットケ 神カマウナ」とか「触らぬ神に祟りなし」のように神様とはすべてを超越して、得体の知れないものというか恐ろしいものだから、それには逆らわないようにして、着かず離れずの付き合い方が身についています。
敬って祭っておけば、ご利益を頂けるかもしれないし願掛けすれば叶えてもらえるかもしれません。
これって神様でも権力者でも下々からみれば同じようなものじゃないでしょうか。

ですからいきなり初代神武天皇から始めるのではなくその前に数千年か数万年かわからないほどの昔の天地開闢から始まり物事の順番を正確にたどり、都度神様を登場させ、きちんと筋道を立てて(古事記では)第三十三代推古天皇までの系譜の正当性を書いてあるのだと思います。

でもここで若干の疑問がでてきます。第四十代天武天皇の発案で第四十三代元明天皇のときに完成した古事記がなぜ第三十三代推古天皇で終わっているのかということです。
古事記序文の中で天武天皇のことを書いておきながら推古天皇で終わるってなんか中途半端じゃないでしょうか。単純に考えると元明天皇はまだその時存命のため第四十二代文武天皇まで書いても不思議じゃありません。せめて発案した天武天皇まで記載するのが普通じゃないでしょうか。眠れなくなりそうですがそのことを考えながら次に進んでいきたいと思います。

ここでやっと表題にある仏教の登場です。
仏教とは何ぞやといわれましても、ここでつまびらかに語る頭を持ち合わせておりません。せいぜい「紀元前五世紀ごろインドにおいて悟りを開いた仏陀の教え」としか言えませんが、日本に伝わったのは日本書紀によりますと西暦五百三十八年という神道からみればまったくの新興宗教です。

この時代、宣化天皇の御世ですが自身は翌年に亡くなっており実質つぎの欽明天皇の時代と言ってもいいと思います

天皇は仏教の取り扱いを臣下に問いました。この時物部尾輿(もののべのおこし)と中臣鎌子(なかとみのかまこ)らは仏教の信仰に反対しましたが蘇我稲目が「諸外国が信じているのに日本だけが信じないわけにはいかない」として仏教に帰依すると言うと、欽明天皇は伝わった仏像と経論を稲目に下げ渡しました。

このままで何事も起こらなければよかったのですが、その後疫病が流行りその原因を「仏教を日本に入れて信仰したからだ」とされ仏像は難波の堀江に捨てられ稲目の自宅を改造した寺は焼かれました。仏教最初の苦難です。

このあとも仏教の可否をめぐる争いは尾輿と稲目の息子(物部守屋と蘇我馬子)の代で用明天皇の後継者をめぐって争いが起き物部守屋が蘇我馬子に敗れ滅亡するまで続きました。
この戦いの蘇我馬子側について参戦したのが聖徳太子(しょうとくたいし)でした。
聖徳太子は四天王(してんのう 仏法を守る四神)に戦勝祈願をして成就したので現在の大阪市天王寺区に四天王寺を建立しました。
ここで仏教に反対する物部氏がいなくなったので、仏教思想がおおきく取り上げられるようになり聖徳太子が制定したとされる十七条憲法のなかにも「篤く三寶を敬え」とあります。三寶(さんぽう 三つのたから)とは、仏(ほとけ)法(のり)僧(そう)のことで、よく仏法僧(ぶっぽうそう)と言われているものです。

話が逸れますが蘇我馬子と聖徳太子(厩戸王うまやどのおう)が共に戦って物部守屋を打ち倒し仏教という外来の神を受け入れました。
今回は何事もなく広がりを見せるのですが、大豪族や皇太子なんていう雲の上の人たちの話より記録に残らない下々の民はこの仏教がどう見えたのか想像してみたいと思います。というより神道と仏教を熱く語ってみたいと思います。

神道は日本由来の宗教で大勢の神様の集合体で成り立っています、それはあらゆる自然に神が宿りそれを守りまたはそれを犯すものに祟るものです。
規範を守るために罰を与えるものです(要はバチが当たること)。

私をはじめ多くの方は神様の性格^^;を知らないと思います、それは四魂と言って一人の神様に四つの性格があり和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)の二つに分けられ和魂はさらに、幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)に分かれます。
もっともこの四つの考え方は新しく今回のテーマ古事記の時代にはありませんでした。古事記の時代では和魂と荒魂の二つだけです。

私と同じような年頃の方ですとご存知と思いますが、漫画やアニメで放送されたり読んだ「大魔神」を思い出していただけますと分かりやすいと思います。
普段は温厚な顔をして収まっているのですが、ひとたび悪事や不条理を見るや憤怒の表情に変わり立ち上がって悪を打ち砕くのですが、子供心に何か違和感がありました。最近リマスター版を見る機会があったのですが、鉄腕アトム・鉄人28号・仮面ライダー・大人向けに水戸黄門などと比べると勧善懲悪には違いありませんが何かが違うのです、錆びた頭をフル回転させて考えてみたら、おぼろげながら分かったことが大魔神は被害者(弱者)に寄り添わないということでした。
水戸黄門などは被害者を浮き彫りにして悪を際立たせ、完全に被害者に寄り添って問題を解決するスタイルですが大魔神は淡々と悪を退治するだけで、結果として被害者を救うことにはなるのですがベタベタした優しさがなくイサギいいといっちゃイサギ良いんですが他の漫画に比べ何か違いを感じました。
多分この感じが神様の考え方に近いんじゃないかと思います。だから神様を怒らすようなことはしてはいけない、神様は怖い存在だという考えに繋がっているのです。

いっぽう仏教はどうでしょうか、仏教の頂点にいるのは言うまでもなく仏陀(お釈迦様)です。敢えて頂点といったのは仏教そのものが仏陀の教えだからです。
誤解を恐れずに言うと、仏教は一神教です、しかし一神教ではありますがキリスト教やイスラム教・ユダヤ教のような唯一絶対神ではありません。
仏陀は修行の末悟りを開いた人なのです、ですから仏陀の教えを学び修行して悟りを開くことが出来ればその隣に並ぶことが出来るのです。(ア~なんか怒られそう)
日本には数多くの宗派があり、たとえば多くの信者を持つ浄土宗系(浄土真宗)の宗派と日蓮宗系の宗派で言えば浄土宗の開祖は法然で浄土真宗は親鸞で日蓮宗は日蓮といったようにそれぞれの開祖が日本人にとって仏陀に並ぶ人と言えるのかも知れません。
仏教の目的は衆生(しゅじょう 人間をはじめ生きとし生けるものすべてですがこの場合は人間をさします)を救うことです。
仏教において、生きることは苦であり、人の世は苦に満ち溢れている。老いることも死ぬことも惄(ひもじい)ことも恋に破れることもすべて苦であり、その苦にはすべて原因がありその原因を取り除くことで、人は苦から逃れられる。いわゆる解脱であります。
また仏教には偶然や奇跡といった考えはなくすべてのことには原因がありそれによっての結果があるという「因果論」が基本ですので善行や徳をつめば善果が悪行を重ねれば悪果にいたると教えています。
さらに生きていること自体が修行であり、煩悩や欲によって苦を感じることを断ち切らなければ、すなわち苦のすべての原因を取り除き悟りを開かない限り輪廻転生(何度も生死を繰り返すこと 死んで新しい命と場所に生まれ変わること)を繰り返すと教えています。
この世にいる間に一所懸命に働き善行を積んで、あの世にいけば浄土に行くことが出来、人のものを盗んだり傷つけたり欲にまみれて悪行を重ねれば地獄に行くことになるということです。
すがすがしいほどシンプルで分かりやすいです。

地獄・極楽の話が出ましたので、神道と仏教の死生観を比べてみましょう。
その前に、たとえば有名人がお亡くなりになり仏式のお葬式の報道のときよく言われるのが「○○さんは××が得意でしたので“天国“でもきっと楽しんで・・・」ン?○○さんはどこへ送り出されたのでしょうか。仏教の世界には天国はなかったと思うけど。って突っ込んでいます。^^; そうなんです仏教には極楽はあっても天国はないんです。ちょっと屁理屈かもしれませんけどいつも違和感でモヤモヤします。

話を戻して神道では亡くなった人はどうなるのか考えてみます。・・・エ〜ト
古事記の中では黄泉の国へ行くことになっています。では黄泉の国とはどんな所?って聞かれても答えられません。なんせ行ったこともまた行った人が帰ってきた事もないのですから知る由もありません。
ただ洋の東西をとわず肉体は魂の入れ物であって魂がほろびることはないと考えられています。
ではその魂はどうなるのかですが神となって神の国へ帰るのだそうです。
ただこの世で身についてしまった穢れの多寡によって天上の偉い神様が「ずいぶんと汚れて帰ってきたからこちらで穢れを落とし修行をしろ」といって神の国での修行を命じられるそうです。そしてきれいな体になってまたこちらの世に来るのだそうです。ですから生まれたばかりの赤ちゃんは穢れがないのだそうです。
生きている間は人で死ぬと神になる(もどる)ということはもともと神なんでしょうか?
だから仏教のように死んでからも追善供養(善行が足りなくて成仏できないといけないので死んでからもその人のために善を積んであげること)をしないのでしょう。
正直言ってわかりにくいですし、そういわれてもいまいちピンときません。

そのてん仏教は人として死んで三途の川(さんずのかわ その人の罪のあるなし多さによって罪が無ければ橋・軽ければ浅瀬・重ければ深みの三つの道に振り分けられて渡る川)を渡りあの世に入ります。ですから三途の川の向こう岸という意味で彼岸(ひがん)という言葉があります、ついでにこちら側は何というかと言いますと此岸
(しがん)といいます。それから閻魔さん達の裁きを受けるのですが先ほどの話のこの世でどのくらいの善行(徳)を積んだかまたはどのくらいの悪行を犯したかによってその先の道がわかれます。
書き始めるとまた長くなってしまいますので簡単にまとめますと、この世でものすごくたくさんの徳を積んで善行を行った人が亡くなって、この人は罪のない善人だと認められるといきなり金色の雲に乗ったお釈迦様が迎えに来てそのまま極楽浄土に連れて行ってくれるそうですし、悪いことばかりして悪行を重ねた人が亡くなって重い罪の罪人と判断されると火車(燃える荷車のようなもの)が迎えに来ていきなり地獄へ連れていかれるそうです。
それは両極端で、そのあいだの多くの人は罪の種類や軽重によって六つの行き先を決められます、これが六道(ろくどう りくどう)といわれるものです。
ここまで書いたついでですので六道を簡単に紹介します。
①天道
天人が住む世界で人間よりすぐれた存在とされています。
寿命も長く苦も少ないといわれていますがここでは仏教に出会うことがないため
自力で解脱できません。
②人間道
人間の住む世界で今これを読んでくださっているあなたもこの世界の住人です
苦しみの大きい世界ですが楽しみもあり六道の中で唯一仏教に出会える世界で
自力で解脱して仏になるチャンスのあるところです。
③修羅道
阿修羅の住むところで修羅は常に戦い争うとされています、怒り苦しみの絶えな
いところですが地獄のように罪を償うところではありません。
以上①~③までを三善道といいます

④畜生道
畜生とは基本人間以外の生物をいいますがここでは牛馬鶏犬猫など使役され
本能のまま生きて人から畜養されているもののことです。
⑤餓鬼道
餓鬼の世界です、よく大人が悪さをした子供に向かって「この悪ガキが~」って
しかりつけますが、このガキ(悪い子供)とは違い文字通り餓えた鬼です。
終始餓えているのですが食べ物を口に入れようとすると火になってしまい食べた
り飲んだりできませんので常に餓えと渇きに悩まされるところです。
⑥地獄道
ここはみなさんもご存知のところで責め苦をあたえ罪を償わせるところです。
以上④~⑥までを三悪道といいます。
ただし三悪道に③を加え四悪道とすることもあります。
前述しました輪廻転生によって①~⑥に生まれ変わると言われていますので、人間道にいるあいだは人間道がこの世でそれ以外があの世ということになります、ほかの道でも同じことですが③~⑥の場合あの世に行くことを切に願うと思います。

こんな感じで神道と仏教を説明してきましたが、拙い説明でお分かりにくかったとも思いますが、出来ることなら笑ってお許し願います。

この節の最初の方に第三十三代推古天皇で終わっているのは少し変じゃないか?と書きましたが色々書いているうちにおぼろげながら分かったような気がします。

古事記は日本という国の為政者すなわち天皇は神の末裔であって侵すことのできない存在であることを知らしめる目的で作られたものです。
すなわち神様が国を作り神様がこの国を統治してきたことの証なのです。ですから天皇=神という図式を鮮明にしなければならなかったのです。
しかし宣化天皇から欽明天皇の時代に仏教が入ってきて推古天皇即位までのおよそ五十五年の間仏教は不遇の時代であったとはいえ着実に浸透していて、用明天皇の後継者争いで物部守屋が破れ仏教に反対する勢力がなくなり仏教思想が一挙に開花したものと思われます。特に用明天皇の第二皇子の厩戸皇子(うまやどのおうじ 聖徳太子)が推古天皇のもと仏教色の強い十七条憲法を定め中央集権国家体制の確立を図り神道と仏教の興隆につとめました。

そのため古事記が完成した元明天皇の時代には(推古天皇からおよそ100年)仏教は成熟していたものと思われます。その証拠となるかもしれないのが元明天皇の二代前の持統天皇は自ら火葬するようにと命じ亡くなっています、神道では土葬されるのが普通ですので歴代天皇で初めての火葬という仏教のしきたり(お釈迦様が火葬されていますので仏教では火葬することが普通)を取り入れたとするとひょっとして仏教が神道をしのいでいたのかも知れません。その後約千年にわたり土葬・火葬が混在し後光明天皇以降はまた土葬されるようになりました。

元明天皇の二代後といっても亡くなってから十年足らずで聖武天皇が即位していますが、その時代に仏教は隆盛を誇り七百四十三年に衆生救済の請願を立てて廬舎那仏金銅像(奈良の大仏)造立の詔を発しました。
神様がデッカイ仏さまを作る命令をだしました。^^;

そんな時代背景がありますので、もし推古天皇以降天武天皇または文武天皇まで記載するとなれば神道とは別の思想の仏教に言及しなければならず、天皇=神様が祖先の神様を祭り国家安寧を祈願するだけでなく、よその国からきた仏様に頭を下げ国家安寧を祈願する姿を見せたくなかったのかも知れません。

国家鎮護・安寧の大事を祈願するので念には念を入れてアッチコッチニお願いしています。てなわけにはいかなかったんだと思います。

ですから時代の大きなターニングポイントである推古天皇までの記載という、見方によっては中途半端なところで終わっているんだと思います。
もしこれを偉い先生が読んだら入れ歯を吐き出して笑うんだろうなぁ~心配です入れ歯を無くさないようにしてください。

ちなみに古事記の中では仏教のことは1ミリも触れられてはいません。しかし実際には用明天皇は仏法を重んじ実質的に容認していました。その証拠に自らの病気平癒を願って寺と薬師如来像を作ることを請願したと薬師如来像の光背の裏の銘文に書かれています。用明天皇自身は完成を見ることなく亡くなってしまいますが次代の推古天皇と用明天皇の皇子厩戸皇子(聖徳太子)がその遺志を継ぎ寺を完成させたとされています。それが現在の法隆寺につながっています。正確にはわかりませんが創建は六百七年とされています。このことからも前述の推古天皇の時代がターニングポイントだったというわけです。