古事記 上巻(1)天地創造
(1) 天地創造 世界の始まり
いよいよ本文に入っていきますが、独特な世界観ですので色々疑問が出てきます。
たとえば、時間です。まず始まりがいつなのかとか、どのくらいの時間が経ったのか、ということは少なくとも上巻や中巻の中盤までありません。
つまり時間の観念がないということです。しいて言うなら悠久の昔・悠久の時間としか言いようがありません。なんせ神様の世界ですから時間なんぞ超越しているのでしょう。
それともうひとつ、神様の世界ですのでどんなに「人間くさい」場面であっても主人公は神様であり人ではありません。
ちなみに古事記の中には「人」は登場しませんが「青人草」・「人草」という言葉で人を表現しています。たとえばイザナギ・イザナミの会話の中にイザナミが「汝国之人草一日絞殺千頭」意味は「あなたの国の人を一日に千人絞め殺します」とぶっそうな話がありますがこの「人草」というのが人をさします。
では人はいつからいるのかという疑問が出てきます、もちろん高天原にも天の原にもいるわけがありませんので地上が固まった時からか伊邪那美命の国生みのときに生まれたかだと思われます。ただ神様が人を作ったまたは生んだという記述がありませんので、草をキーワードとして国生みのあとに自然発生的にでてきたものと考えた方がいいかと思います。
お待たせしましたそれでは上巻を開いていきましょうまだ世界が混沌として空も海も陸も区別のつかないような昔、どこからかフ〜ット神様が現れました(どうしてそれが神様とわかったのか、どこから来たのかは知りません、なんせ神話ですから)。
もちろん周りには何もありませんし話し相手もいません。しばらくブラブラしていても誰もきませんのでつまらなくなって、フ〜ットどこかへ行ってしまいました。(どこへ行ったのかはわかりませんなんせ相手は神様ですから。)
つぎにまた別の神様がフ〜ット現れました。もちろん周りには何もありませんし話し相手もいません。しばらくブラブラしていても誰もきませんのでつまらなくなって、フ〜ットどこかへ行ってしまいました。
このことが、さっきの神様がどこかに行ってから5分後なのか10年後なのか100万年後なのかわかりません、なんせ神様は時間を超越していますので。
つぎにまた別の神様がフ〜ット現れました。もちろん周りには何もありませんし話し相手もいません。しばらくブラブラしていても誰もきませんのでつまらなくなって、フ〜ットどこかへ行ってしまいました。
印刷ミスではありませんし私がボケたわけでもありません。同じことが三回続いています。
プロローグは劇的にとか掴みは完璧にという原則に完全に反して完全にスベリまくっています。
確かにこのくだりがなくても物語は成立しますが我慢しましょう。
でもひとつ重要なことがわかっていません。あえて書かなかったのですがこの神様たちが現れたのはどこなのかということです。
原文では「高天原(たかあまはら たかまがはら)」というところです。
原文をみてみますと
「天地開闢之時 於高天原 成神・・・」
➡天地開闢(あめつちかいびゃく)の時(※1)、高天原に神があらわれました。(※2)
さっきまで「何もない」といっていたのにいきなり「高天原」がでてきました、「於」とありますのでこれは場所をさしています。
ふつう神様がどこにいるのかを考えると、洋の東西を問わず空の上・・・天ですよね。この高天原の文字をわけて考えると「高い」「天の」「原」です、なんだ「い」と「の」が入っただけじゃないかと言わないでください大切なところですから(笑)。
私たちが空を表現した和歌を思い出してみると「天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出し月かも」(阿倍仲麻呂)があります。「大空を振り仰いで遠くを見れば奈良の春日にある三笠山にかかっていた同じ月を見ているのだなぁ」と遣唐留学生としてすごし帰国するときの送別の時に詠んだものです。
ふだん私たちの見ている空は「天の原」です、ですからその「天の原」のさらに高いところにある天の原➡高天原ということになります。
その高天原に神様たちが住んでいるという設定です。もうひとつ突っ込んでみると「天」は二段構造になっていることになります。高い天の原と高くない天の原です(ここ大事ですあとでテストにでます ウソ)。
突然出てきた高天原とこれまた突然出てきた三人の神様達、この神様を紹介しますと最初に出てきた神様その1は、天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)といい、その次に出てきた神様その2は高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)その次の神様その3は神産巣日神(カムムスヒノカミ)といいます。
この神様達はフ~~っと出てきてフ~~っと消えて(隠れて)しまいます。じゃぁわざわざなんで何もしないで消えちゃった神様を大事な冒頭に書いているのかといいますと、それなりの意味がありますので次にご紹介します。
まず最初の神様その1は
天御中主神➡独神(ひとりかみ)といって性別がありません。といってもトランスジェンダーではありません、もともと神様は性別がないのです。このあとの方に出てくる神様は男神・女神と性別を持ちますがこの時点では性別がありません。
この神様出てきて消えてそれっきりこの物語には1ミリも出てこない全く不思議な神様です。
これで片付けてしまうと気の毒ですのでもう少し説明します。
名前から考えてみますと天の(アメノ 天の)御中(ミナカ 真ん中)主(ヌシ 支配者)と読めます。
わかりやすくいうと「ここは俺っちが支配するところだから勝手に入っちゃだめだぜ」と宣言した神様だと思います、だから未来永劫この国があるかぎりこの神様のお世話になっているわけです。控えめな性格のこの神様は「今あるのは俺っちのおかげだかんな」とでしゃばることなく、静かに世界を見守っているのだと思います。
つぎの神様その2は
高御産巣日神➡この神様も独神です。ただ神様その1と違いいったん消えてしまいますがのちのち大事なところでちょくちょく出てきては天津神(天の神様)にアドバイスをしています。軍隊でいう参謀のような役割を持っていて、どちらかというと男性的です。
驚くことに独神なのに後の方では娘の神様が出てきます、どうやって作ったんだろうかと考えるのはゲスの勘繰りと言うものでしょうか。
つぎの神様その3は
神産巣日神➡この神様も独神です。神様その2同様いったん消えてしまいますがちょくちょく出てきては国津神(地上の神様)を助けます。母親のような存在で女性的ですし独神なのに子供を産んでいます。ちょっとおっちょこちょいなところがあって、生まれた子供が小さくって指の間から落っこちてしまいます。ふつうならすぐに助けるようなもんですがそのままほっといてしまいます。のちのちこの子供が大人になって別の国からやって来ます。どうやって育ったんだろうか不思議です。
この三人の神様を「造化三神(ぞうかさんしん)」といって特別な神様たちです。
一応この世界のすべてはこの三人(※3)の神様によって作られたと考えていいです。
根拠として天之御中主神は先ほど説明しましたとおり場所の宣言をしています。
高御産巣日神と神産巣日神の名前の中にある産巣日という言葉の意味を考えるとわかります。産巣日➡︎むすひ➡︎むす で私たちの馴染みの言葉では「バカ息子」「バカ娘」何もバカである必要はないのですがつい心の声が漏れてしまいました。このムスコ・ムスメの「むす」が産み出されたものを意味し「産み出された子・産み出された女」となります。
もうひとつ例をひくと君が代の最後に「苔の生す(むす)まで」の歌詞がありますがこの「むす」も同じで成長を意味します。
ですからこの三人の神様が場所とあらゆる物の元になる神様ですので「造化三神」と言われているのです。
さらにこの高天原に神様が出てきます。つぎに神様その四、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)つぎに天之常立神(アメノトコタチノカミ)です。やたらと長い名前の神様が出てきました、神様の名前って長いもんだとあきらめてください、まだまだ長い名前の神様が出てきます。
ここで少し長くなりますが原文を引用してみます。
次国稚如浮脂而 久羅下那州多陀用幣流之時【流字以上十字以音】 如葦牙因萌騰之物 而成神名宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許 訓立云多知】 此二柱神亦独神成坐而隠身也 《上件五柱神者別天神》
あたりまえですが漢字ばっかりです、訳していきますと
「国わかくして浮ける油のごとく くらげ成す漂える時 あしかびのごとく萌えあがれるものにより 成りし神の名は宇摩志阿斯詞備比古遲神つぎに天之常立神 この二柱の神 また独神で成り坐して身を隠すなり」
難しくなってきました、この「国わかくして」とは何かと考えてみますと。
はじめに「天地初發之時 於高天原・・・」とありますので全体では混沌としているのですがかろうじて「上(天)と下(それ以外)」が区別されたときと考えられます。
ただし「天地」➡︎(あめつち と読みます)の地はまだない筈です、というのも「如浮脂」(浮いた脂のよう)とか「久羅下那州多陀用幣流」(クラゲなす漂える)とありますので、少なくとも「地面」や「地表」を表すものではなく「地」と言っても液状またはドロドロしたものだと思われます。
そんな中「葦の芽(あしのめ)の萌え上がるように成った神」が宇摩志阿斯訶備比古遅神です。
この宇摩志阿斯訶備比古遅神、長い名前を分析すると、うまし(どこかの芸人さんが叫んでいるわけではありません、美しいという意味です) あしかび(葦の芽)ですが、次の「ひこじ」がわかりません「ひこ」で切って「彦」・「日子」と考えることもできますが、両方とも「男子」を意味します(「日子」は男子の美称)ですので独神であるこの神様には使えません。あ〜〜言い切っちゃった。偉い先生方に怒られそう。
それに「ひこ」で切ってしまうと「遅」(じ)が残ってしまします。じつはこの神様「痔」でしたなんていうオチはありませんのでこの「じ」または「ぢ」の解釈は分かれています「ち」とすると「霊」の意味が出てくるそうですが、「美しい葦の芽の男の霊」・・・ピンときませんね。では切らないで三文字で「ひこじ」とすると・・・調べても出てきませんでした。
仕方がないのでキーワードで考えることにします、この名前のかなめは「葦の芽」です葦とは水辺に群生する植物でアシまたはヨシと言います。もうひとつのキーワードが出てきました「水辺」です。この神様を形容する「葦の芽が萌え上がるように」の文から芽が萌えでるところで水辺と考えると、思い当たるのが「泥」です今までの文を解釈しても固い地表はまだないけれど「ドロドロ」な「泥」はあってもいいんじゃないかと思い調べてみると「こひじ」⇒「小土」(こひじ)が出てきてこれは「泥」も意味することがわかりました。
泥の「こひじ」をなぜ「ひこじ」と書いたかを考えなければなりません。写し間違い?一番手っ取り早いのがこれです(笑)、でも神様の名前を間違えるかとか考えるとその線は薄いです。では表現方法として倒置させたと考えることもできます。
ウマシアシカビヒコジノカミ・ウマシアシカビコヒジノカミ。わざわざ倒置させる意味があるのかどうかわかりません。大元にかえって稗田阿礼が言い間違えた、または太安万侶が聞き間違えたあるいは書き間違えた等々。キリがありませんし検証しようがありませんのでここは私的に一番しっくりとくる「コヒジ 泥」倒置「ヒコジ」ということにしたいと思います。
「泥の中から萌えあがる美しい葦の芽のような神様」 これで決まったね!
フ〜〜長い神様ひとりの名前でこんなに書いていたら広辞苑より分厚い本になりそうです(笑) しかもこの神様その四もフ〜ッと出てフ〜ッと消えてしまい二度と出てきません。
というより古事記本編冒頭に出てくる神様の数は全部で十七人ですが、その中でこのあと出てくる(名前が特定できる)神様は四人だけです、残りの十三人は二度と出てこないか大勢の神様に紛れて特定できません。なんせ日本には「八百万の神」が居ますので、全体会議だと言っても出席者名簿なんかとても作れたもんじゃありませんもんね(笑)
つぎに現れた神様その5は天之常立神です。天之➡︎てんにおいて・常➡︎いつも・立➡︎たっている・神様、悪いことばかりしていつも廊下に立たされている神様ではありません。
多分 高天原で常に他の神様のそばに寄り添い色々お世話をする神様だと思います。
常(とこ)を床(とこ)に通じ神様を作り出す・・・子作りの場所と言われる方もおられますがよくわかっておりません。
この神様も独神で隠れたあと1ミリも出てきません。
さてここまでで五人の神様が出てきました。はじめの三人が造化三神と言われ特別な神様であることはすでにお話しした通りですが、前の三人とこの二人の神様を合わせたグループを別天津神(ことあまつかみ)と言って、このあと現れる多くの天津神(天の神様)とは別格に扱われています。