黄泉の国ってどこにあるの?
黄泉の国(よみのくに)ってどこにあるの?
まず黄泉の国とはなんぞや?黄色い泉ってなに?という疑問がわいてきます。
古事記では黄泉の国で日本書紀では黄泉ですどんな違いかというと、国が付いているかいないかです(笑)。見ればわかるとお叱りを受けるかもしれませんが、これ大事です。なぜなら国というかぎり領土があり統治者がいるということです。さらに言えば国民もいるし軍隊もある、いま私たちの暮らしているこの世とまったく変わりなく食べ物を煮炊きしてそれを食べふつうに生活しているところです。違いと言えばあちらの国民は死者でこちらは生者だということです。
日本書紀ですとこれが若干かわり、死者の世界とか死者の共同体の感がします。
いずれにしても死んだ人の行くところには変わりありません。
ではなぜ黄色い泉で死者の国をあらわすのっていう疑問ですが、よくわかりませんm(__)m
ざっくりと私の調べたところですが、中国の「五行思想」からきているものだそうです。
五行の説明をするとなるとそれだけで何ページにもなってしまいますので、いつもお世話になっていますwikipediaを参照しながらかいつまんでいきたいと思います。
五行説というのは古代中国における自然哲学の思想で万物は火・水・木・金・土の五つの元素からなるという思想です。(アレ?黄色も泉もないです。)
なぜに五なのか、なぜに行なのかですが、この当時中国では五つの惑星を観測できたとされています。つまり火星・水星・木星・金星・土星ですこれらの運行を示すものであるとの説があります。(ウ~ンよくわからん)
ではもう少し広げて考えてみましょう。五行に関連している五色と五方と五時を合わせると下の表になります。
五行 |
木 |
火 |
土 |
金 |
水 |
五色 |
青 |
朱(赤) |
黄 |
白 |
玄(黒) |
五方 |
東 |
南 |
中央 |
西 |
北 |
五時 |
春 |
夏 |
土用 |
秋 |
冬 |
色を付けて分かりやすくするとこのようになります。
上の表でなにか見えてきませんか?
私たちになじみのある言葉がこの中にあります、まず色と時を見てみましょう。
色➡青 ・朱(赤)・黄 ・白・玄(黒)。やっと黄色が出てきました。
時➡春 ・夏 ・土用・秋・冬。
これを縦に読むと青春・朱夏・ひとつとんで白秋・玄冬となります。五行思想では春はもちろん季節の春ですが年齢も表し15歳から30歳を指します、ですから日本では青春というと季節ではなく年代をあらわし青春時代という言葉があります、年代としては朱夏が30代前半から50代後半・白秋が50代前半から60代前半・玄冬が60代後半以降となります、しかし青春以外で年代を表すことはほとんどありません。もうひとつ例を引きますとカラタチの花や待ちぼうけなどの童謡で有名な詩人・童謡作家の北原白秋の白秋もここから取った名前です。
このように紀元前300年頃に古代中国で考えられたことが2000年の時を超えて今も身近なものとなっているのです。
派手な脱線をしてしまいましたが五行思想が少し身近なものとなったと思います。
脱線ついでにもうすこし見ていきたいと思います。これまで出てこなかった五方ではそれぞれの方角が並んでいます東・南・中央・西・北です麻雀をする方はニッコリされるかもしれませんが中央をのぞくとこの並びがそれぞれの場になっていることがお分かりいただけると思いますふつう私たちが方角をいうときは、東(とう)西(ざい)南(なん)北(ぼく)と言いますが麻雀の時には東(とん)南(なん)西(しゃー)北(ぺー)となります、なぜなんでしょうか。
簡単に説明しますと麻雀は数字と文字の牌を組み合わせて形作るものです、形が組みあがるとアガリとなります、いかにほかの人より早くそして点数の高い形を作るかを競うゲームです。
このアガリの際に言う言葉が「ロン」です。これを漢字で書くとロン➡「龍」です。形が組みあがると龍になるのです。これを色にあてはめると青龍・赤龍・(黄龍)・白龍・黒龍となり方角は先ほどの並びになります、これも五行思想なるものです。(ほんとかなぁ書いてて不安です)。
私の年代ですと世界四大文明はメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明と学校で習いました。しかし現在では中国の文明は黄河文明だけではないと証明され、新たに長江文明なるものが加わりました。中国の二大河川の両方に文明が発生したと言われています。
ですが五行思想が考えられたころには当然そのようなことはわかっておらず、中国文明は黄河の上・中流域の黄土高原が中心であると思われていました。
やたらと黄色が出てきます。黄色い川や黄色い土です、日本でも毎年春先になると黄砂の飛来が話題になりますが、この黄砂もここから飛んでくる非常に細かい砂のことです。
もともと中国の北西部の砂漠から風で運ばれて黄河上流に堆積したものと言われております。
黄土は養分を豊富に含み農耕に適した土ですが水分がないと固く、また崩れて細かくなると風に飛ばされてしまいます、ですがこの地域にはあまり雨が降らず降るのは夏の間がほとんどですので土地はいいのですが水に恵まれませんでした。
濁流の黄河や数多くの支流から直接水を引くのは難しく人々は井戸を掘り灌漑しました、黄河文明はこの黄土の上に発生した農耕文明です。
ですから中国文明はここに発生しここから広がっていったと考えると、五色の真ん中に黄があり五方の真ん中が中央と言われても違和感がありません。ついでに五時もチャチャっと説明しますと春・夏・土用・秋・冬となっています、現代の私たちも土用丑の日にうなぎを食べることが夏の風物詩となっています。これはもともと中国では夏の土用(これから暑い夏になるという時期)
に牛を食べるという風習があったそうです。暑い夏を乗り切るためにスタミナをつける意味だと思います。
これを夏になるとお客が減ってこまるウナギ屋さんが平賀源内に相談した結果、日本では牛を食べることが出来ませんので同じ「ウ」つながりでうなぎを食べて精をつけることにしたのです。
五行思想をちょっともじって新しい習慣を作ったようです。
諸説ありますがこんな風に言われているとご承知ください、とくに五行思想とからめたのはかくゆう私ですのであてにはなりません間違っていたならお許しください。
さきほど夏の土用と書きましたが、わざわざ夏とことわったのは土用は年に四回あるからです。立春・立夏・立秋・立冬の前およそ十八日間を土用といいます、ですから季節で表現すると春・土用・夏・土用・秋・土用・冬・土用となります。ようは季節の変わり目が土用ということになります。その十八日間で暦の十二支で丑の日を土用丑の日といいます。ですから単に土用丑の日というと年に最大八回あることになります。ウナギ屋さんメッチャ儲かるやん^^;。
(上記の図を参照ください)
ウ~ンよもや黄泉の国の説明に麻雀やウナギまで出てくるとは思いませんでした。(^^;)
さて五行思想が身近なものであることがわかりましたので次に行ってみましょう。
やっと黄色と泉(井戸)がそろいました。ここにたどり着くのに随分とかかりましたが無事到着しました。
灌漑のために地面を掘っていくとやがて水がでてきますがそれは黄土と混ざり黄色い水となるのです。
ですから地面の下には黄色い泉があるものと思われても不思議ではありません。
おそらく亡くなった人を埋葬するには穴を掘って埋めたと考えられますので死者は地面の下に行く、そしてそこには黄色い泉があるところで死者の国=黄泉の国となったものと思われます。
信じるか信じないかはあなた次第です。(どっかで聞いたような・・・)
話をうんと戻して伊邪那岐命がいとしい伊邪那美命をたずねて黄泉の国へ行った時のことを思い出してください(もう麻雀やウナギことは忘れてください)、地下に降りたとか上にあがったとかの表現はまったく出てきません、ただ灯をつけないといけないくらい暗いということだけがわかっています。書いていないということは考えようによっては書かなくても黄泉の国は暗いところ=地下にあるに決まっている、ということなのでしょうか?。
ここからやっと黄泉の国がどこにあるのか具体的に考えてみたいとおもいます。
多くの解説書や専門書によると古事記の世界では下のような三層構造だと言われています。
天空の高天原の下に地上である芦原中津国そして地下にある黄泉の国という構造の世界です
なんだかこう書かれると納得しませんか?
私たちの頭の中にある死者の世界って地下を想像しますよね、神様たちは高天原と葦原中国を行ったり来たりしますが、神様であっても黄泉の国に一度入ると戻れない一方通行であるという世界観。思わず「ウンそうだ」と言いそうになるのですが、深夜の通販番組ではありませんが「チョット待ったぁ」って言いたくなるのが私の悪い癖です。どうしてもここで理屈をこねくり回したくなるのです。
古事記を読んでみると、先にも書きましたが黄泉の国へ向かう伊邪那岐命は地下へ向かったとは一言も書いてありません。ただ暗い世界であることだけが書いてあります。
それも真っ暗闇の暗黒の世界ではなく薄明るい世界だと思います。なぜなら伊邪那岐命が灯もなしで全力で逃げることが出来るのですから。おそらく黄泉の国の出口である外の世界の明かりが入ってきていて逃げる方向もはっきりとわかる程度だと思われます。
そしてついに逃げ切って黄泉比良坂の坂の本までたどり着きます、ここがあの世とこの世の境目だと思います。ここでまたひとつ疑問が出てきます、伊邪那岐命がこの坂を登ってきたのか下ってきたのかです。残念ながら古事記には記述されていません、登って来たのなら黄泉の国は地面より下すなわち地下であることになりますので上の図のとおりになります。
ですが書いてない以上はこの図を否定してもいいことになります。(勝手な言い分です^^;)
それとまだまだいちゃもんをつけると、伊邪那岐命と伊邪那美命は地上から高天原に帰ったとされていてそこで神産みをしたことになっていますので伊邪那美命は高天原で亡くなったことになります。